アダマールの不等式

アダマールの不等式(Hadamard's inequality)

n×nn\times n の複素行列 AA に対して,

detAc1c2cn|\det A|\leq c_1c_2\cdots c_n

ただし,cic_iii 列目の長さ:ci=a1i2+a2i2++ani2c_i=\sqrt{|a_{1i}|^2+|a_{2i}|^2+\cdots +|a_{ni}|^2}

アダマールの不等式のイメージと証明を紹介します。

nが小さい場合で考える

  • n=2n=2 で実行列の場合
    A=(abcd)A=\begin{pmatrix}a&b\\c&d\end{pmatrix} に対するアダマールの不等式は, adbc(a2+c2)(b2+d2)|ad-bc|\leq\sqrt{(a^2+c^2)}\sqrt{(b^2+d^2)} となります。これはシュワルツの不等式と同値です。

  • n=2n=2 で実行列の場合は図形的にイメージできます。detA\det A は2本の列ベクトルが貼る平行四辺形の面積なので,アダマールの不等式は長さを固定した2本のベクトルが貼る平行四辺形の面積は長方形のとき最大になることを表します。

  • n=3n=3 でも同様に考えると,アダマールの不等式は長さを固定した3本のベクトルが貼る平行六面体の体積は直方体のとき最大になることを表します。

関連する定理

アダマールの不等式の証明に向けて,関連する定理を紹介します。

定理1

半正定値エルミート行列 HH について,

detH(Hの対角成分の積)\det H\leq (H \text{の対角成分の積})

ただし,エルミート行列とは「共役転置 HH^{\dagger} が自分と一致する行列」です(対称行列の複素数バージョン)です。

定理2

対角成分が1である半正定値エルミート行列 HH' について,

detH1\det H'\leq 1

アダマールの不等式の証明

以下の3つに分けて証明します。

  1. 定理1を使ってアダマールの不等式を証明
  2. 定理2を使って定理1を証明
  3. 定理2の証明
定理1→アダマールの不等式の証明

H=AAH=A^{\dagger}A とおくと,HH は半正定値エルミート行列であり,ii 番目の対角成分は AAii 列目の長さの2乗 ci2c_i^2 になる。

よって,定理1より detHc12c22cn2\det H\leq c_1^2c_2^2\dots c_n^2

これと detH=detAdetA=detA2\det H=\det A^{\dagger}\det A=|\det A|^2 よりアダマールの不等式が成立。

定理2→定理1の証明

半正定値エルミート行列 HHijij 成分を hijh_{ij} と書く。

  • HH の対角成分がすべて正の場合
    「各 ii について ii 列目を hiih_{ii} で割った行列」を HH' とすると,HH' の対角成分は 11 である。よって定理2より detH1\det H'\leq 1
    一方,ii 列目を hiih_{ii} で割ると行列式は 1hii\dfrac{1}{h_{ii}} 倍されるので, 1h11h22hnndetH=detH\dfrac{1}{h_{11}h_{22}\cdots h_{nn}}\det H=\det H' 以上より,detHH\det H\leq Hの対角成分の積

  • hii=0h_{ii}=0 となる ii が存在する場合
    ii 成分が 11 でそれ以外が 00 のベクトル xundefined\overrightarrow{x} に対して,xundefinedHx=0\overrightarrow{x}^{\dagger}Hx=0 となる。よって,HH の最小固有値は 00 となる。「行列式=固有値の積」より detH=0\det H=0 となるので定理1は成立。

※後半(hii=0h_{ii}=0 の場合)は少し難しいですが,アダマールの不等式の証明に対しては,実は後半は不要です(後半に対応するケースは定理1を使わずにアダマールの不等式が導出できます)。
実際,H=AAH=A^{\dagger}A に対して hii=0h_{ii}=0 なら,ci=0c_i=0 ですが,このとき AAii 列目の要素はすべて 00 になり detA=0\det A=0 となります。

定理2の証明

HH' の固有値を λ1,,λn\lambda_1,\dots,\lambda_n とおく。以下の3つの式から detH1\det H'\leq 1 が成立する。

  • detH=λ1××λn\det H'=\lambda_1\times\cdots\times\lambda_n
  • 相加相乗平均の不等式より,
    λ1××λnnλ1++λnn\sqrt[n]{\lambda_1\times\cdots\times\lambda_n}\leq\dfrac{\lambda_1+\cdots +\lambda_n}{n}
  • 行列のトレースの性質より,
    λ1++λn=tr(H)=n\lambda_1+\cdots +\lambda_n=\mathrm{tr}(H')=n

等号成立条件

等号成立条件は,相加相乗平均の不等式の等号成立条件から考えていくとわかります。具体的には,

  • 定理2の等号成立条件は「HH' が単位行列」
  • アダマールの不等式の等号成立条件は「いずれかの列ベクトルが0ベクトル」または「列ベクトルが互いに直交する」となります。

相加相乗平均の不等式を固有値に使うのがとてもおもしろいです。