複素数についての質問です。をとして定義するなら以下の2つの解釈ができると思います。
①
②
この2つの考え方のうち②を複素数の定義として採用しているのには都合の良い理由があるのでしょうか?
また、このように2つの解釈がある中で片方を採用することで整合性の持った拡張ができるのならばゼロで割ることの矛盾も解消できる気がしていて、いくつかアイデアを考えているのですが良いアイデアはありませんか?
ベストアンサー
一見あってるように見えますが、一般的に①の解釈は間違っています。
完璧な説明ができるかちょっと分かりませんが、簡単に言えばルートの記号の中に勝手に入れ込んじゃだめ!ってことですかね。そんなことができるのは実数の世界だけです。つまり、
だから、
と計算するべきなんです。なので①の考え方は棄却され、矛盾も何もなくなります
なにか不十分だったりしたら教えてください。完璧な説明が難しかったので…
の時にしか成り立たないのは定義でそうなっているからというのは分かるのですが、なぜそのような定義をした方が数学的に都合がいいのかが知りたいです。それを認めるとどのような不都合が生じるのかがわかりません。若干哲学的な質問ですいません。
まるまる引用して申し訳ないです。特に中盤らへんでしょうか、虚数に関するちょっとした歴史が書いてあります。ここに書いてある通り、@fumiaki様のご質問で受けた矛盾自体が求めていた不都合なのかなと解釈しました。もしこれでも十分でなければ申し付けください。できる限り何とかしますので(笑)
https://mathsoc.jp/publication/tushin/1501/1501iitaka.pdf
因みにその文章のURLです。3頁に載っています
難しい質問をしてしまいましたが、ちゃんと答えてくれてありがとうございます。あらかたは理解できたと思います。また読み込んで完全に理解できるようにします。
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そのほかの回答(2件)
考え方がおそらく逆だと思います.をと定義しているのではなく,となるようなをと定義しています.
さらに言えば複素数は実数の直積(ベクトルみたいなもの)で定義できます.について,演算を
で定義することによって,となります.このをやと定めています.
同様にして,となるような演算を定めることができますが,この場合でもここで定義したで割ることはできないようです.全ての数が任意の数になってしまいます.
なぜゼロ除算が定義されてないかと言えば,俗っぽく言えば「それを認めると数学がガチでおもんなくなるから」です.ゼロ除算を認めたとたんに全ての数が同じになり,演算が機能しなくなります.それは数学が考察対象として面白くなくなるので,数学の中ではゼロ除算は認めていません.
同じ考え方が代数学で出てくる「体」と言われる概念に出てきます.1(乗法の単位元)と0(加法の単位元)はやはり特別なんです.
質問者からのお礼コメント
みなさん解答ありがとうございました。