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二分割のパラドックスという考え方があり、このことから私は地球上のモノはすべて少しだけ浮いているのではないだろうかという考察を立ててみました。これについてどう思うか率直な意見を頂きたいです。批判的な意見でも歓迎します。

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回答(2件)

調べて見ましたが、二分法のパラドックスのことでしょうか?

調べた見た所だと、このパラドックスは無限和の収束に就いてのパラドックスらしいと言うことが分かりましたが、ネットで調べれば幾らでも詳しい解説を見付けることが出来るので、ここでは敢えて違う方向からのアプローチをしたいと思います。二分法のパラドックスは数学の問題ですが、物理を用いて考えて見たいと思います。(考えて見ると言いつつも実際は聞いた話です。)


この世の全ての物質は原子で出来て居ます。そして、原子は中性子、陽子、電子で出来て居り、中心に中性子と陽子が集まって居り、その周りを電子が回って居ます。中性子、陽子、電子は更に細かい粒子に分けることも出来ますが、今は考えないことにしましょう。

ここで、物体が接触すると言うことに就いて考えて見ましょう。例えば、私達が物体に手を近づけて行くと、私達は物体に触ったと言う感触を得ますよね。この触った感触と言うのはどんなものなのでしょうか?先程も言った通り、物体も私達の手も原子で出来て居ますが、実はこの二種類の原子は接触することは出来ないのです。なぜなら、原子の外側を回っている電子は負に帯電して居り、クーロン力(この場合は退け合う斥力)が働くためです。では、二種類の原子は接触して居ないのになぜ私達は触ったと言う感触を得られるのでしょうか?実は電子に働くクーロン力を私達は触ったと言う感触として認識するのです。人間の皮膚には感覚点と言うものがあり、感覚点の1つに圧点または触点と呼ばれるものがあります。この感覚点は圧力を感知する器官であり、電子に働くクーロン力を感知し、それを私達は触った感覚として認識するのです。


纏めると、二分法のパラドックスは数学的には無限和の収束として論じられるが、物理・生物的にはクーロン力・感覚器官で論じられ、原子同士は実際は接触することは出来ないと言う点ではenjoy_studyさんの指摘するように地球上のものだけではなく、この世界の全ての物体は他の物体から浮いて居ると言うことが出来る(尤も、「浮いて居る」と言う言葉が「接触して居ない」と言う意味であるならばの話ですが)と思います。

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とても面白い考えだと思います。その思考は表面物理学、量子力学、認知科学などに関連しているととらえることが可能です。

・表面物理学:走査型トンネル顕微鏡や光電子分光などの技術を用いて、表面の原子構造や電子状態を直接観測する物理学の分野です。表面の原子構造、電子状態、振動状態などを探究していて、そこでは物体は原子レベルで接触することが知られています。

・量子力学:測定行為と実在の関係性が関連していると考えられます。測定行為そのものが初期の状態を乱してしまうため、最初の状態での物理量の値を直接的に得ることが困難と言われています。これはつまり、「誰も見ていなければ、実在としての意味を持つのだろうか」という問いにつながっています。

・認知科学:認知科学は、人間の知的活動を情報処理の観点から理解しようとする分野であり、人工知能や言語処理などの応用分野にも大きな影響を与えています。今回は「浮いている」の定義の問題ととらえることも可能です。

・物理法則:浮力や重力などの力は常に発生しており、これによって成り立たないとも考えられます。

・連続性と離散性:マクロなスケールでは空間や時間は連続的に見えますが、ミクロなスケールでは離散的な性質が現れる可能性があります。

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