現在1浪明治志望です。数学の勉強についてですが、問題とは関係ないのに、「この公式は導出はなんだっけ?」とか、「この図形が合同って使われてるけど、何で等しいんた?」他にも「一次独立のベクトルとは?」「置換積分は何でそういうふうに変形できるんだっけ」などと、概念や原理?などの方に疑問を持ってしまい、問題集の進みが悪くなってしまいます。(極論、公式を使うたびに、1から自分で導出や証明をしてから使ってるみたいな感じです)また、解答に書かれている言葉になぜこういう風にまとめられるのか、この言葉はどういう意図で使われているかということにも引っかかったりします。一度確認しても、すぐに忘れてしまい、また同じことの繰り返しとなってしまいます。
しかし、割り切ろうとすると、ずっとモヤモヤしてしまいます。やっぱり、数学は理解といいますが、理解がどの程度なのかがわからないです。
現在1a2b3ともに基礎問成功を使っています
日大レベルの数学が7割ぐらいです。
ベストアンサー
モジュール化という言葉をご存じですか?
工学系の用語で、意味は平たく言えば「複数の小さな機能を持つものを多数組合せて、ある一つの機能を生み出し、それをひとまとまりと考えること」です。
良く例に出されるのが自動車の部品です。自動車にはエンジンやブレーキなど、総計30000個近い部品があるそうですが、それらはすべて「モジュール」ということになります。そして、そのエンジンやブレーキももっと細かく分解すると燃焼部分や電気系統などより小さな「モジュール」の集まりでできています。エンジンやブレーキという小さい機能を使って、走るという機能を実現しているので自動車自身も「モジュール」になります。
このモジュールという考えのすごいところは、いったん「自動車」というモジュールを定義してしまえば、そのモジュールの中身(エンジンやブレーキなど)の詳細を気にしなくていいということにあります。モジュールの中身を気にするのは「使うとき」ではなく「作るとき」だけにしてしまおう、ということです。
なぜこんな考え方が生まれたのかは、容易に想像がつくと思います。それは、「いちいち使うたびに中身なんて気にしていたら、中身の情報量が莫大すぎて先に進めない」からですね。まさしく質問者さんが数学で陥っている状況かもしれません。
数学におけるモジュールが「定理」「公式」だと考えてください。確かに、これらの中身を正しいかどうかを一度確認しておくのは重要です。しかし、数学が日々進んでいけるのは先人たちが作り上げた「モジュール」を今の人が何の疑いもなく使えて、その組み合わせにより新たに「モジュール」を生み出すからです。一度正しいと確認したのなら、たとえそれを忘れたとしても、「使うこと」に問題は生じないと思いましょう。数学の性質上、正しいことは変わらないのでね。
「数学は理解だ」というのは、理解した内容を忘れてはいけないということでは決してないと考えます。割り切りましょう!長々と申し訳ないです。
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そのほかの回答(3件)
疑問を一つずつ解き明かしましょう。
忘れるのならば、忘れても思い出せる工夫をしましょう。
性分であるなら、受け入れましょう。
目標があるなら急がば回れです。
自身の欠点の克服を足下からきちんとみましょう。
他人には、どうしたらよいかなど分かりきれません。なので、自分で自分を見つめ直して少しずつでも歩みましょう。
基礎研究こそ極めれば、応用など容易くなります。関連性を見極められない人ではなくなっているでしょう。
個人的な意見として,,,
僕も同じ感じなんですよね。「これは公式だ!」と言われても、自明でなかったら証明したくなります。
数学の入試問題は、「ひねっているけど問うているのは基礎のこと」なんです。今年の東大の大問2だったかの条件付き確率の問題も、多少応用のきいた考え方を使いますが、大本として必要なのはなんですよね。では、この公式だけを覚えていて、東大の問題を解けるでしょうか。答えはNOだと思います。(YESの人もいます。おそらくそのひとは天才ですね)公式は、「物事の理を数学的に示したもの」なので、きちんと定義ができなければ意味がありません。区分求積も条件付き確率も因数分解も整数論も微分も数列もベクトルもすべて同じです。
なので、一から証明したい精神は素晴らしいことだと思います。
また、後ろのほうのことについて。
問題集は、「最低3周」はするといいます。これにはしっかりとした意味があります。それは、「そのレベルの問題を考えられるようにするため」です。
数学は考え方の学問なので、「一度確認した。でも忘れた。じゃあもう一回解こう」というサイクルを作るといいと思います。
問題集を何周もしたら、演習量は増えますね
以下は@Rararaと同じく。