解決済み

古文の動詞で「見ゆ」と「見る」が両方出てきて混乱しています。辞書を見ると「見ゆ」は自発・受身・可能・自然に見えるの意味もあると書かれていて活用はヤ行下二段、「見る」は他動や認識の意味でマ行上一段活用とありますが、実際の古文を読むとどちらがどの意味で使われているか判断しづらいです。


例えば「花見ゆ」は「花が見える(自然に見える)」なのか「花を見る(見るという動作)」なのか、また活用形で現代文にどう訳すべきか迷いました。古典の本文で活用形(未然形・連用形・已然形など)が違うと意味も違ってくると聞きますが、具体的にどのような手がかりで区別すればよいでしょうか。助動詞や係り結び、文脈での判断方法、よくある見分け方のポイントを例をひとつだけ挙げて示してもらえると助かります。

ベストアンサー

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見ゆ(ヤ行下二段)と見る(マ行上一段)は意味が重なることがありますが、区別の手がかりは主に形(語尾)と文法的手がかり、文脈です。整理すると主な見分け方は次の3点です。①活用形の語尾:終止形・連体形の語尾が「〜る」なら他動の見る(マ行上一段)である可能性が高く、古文の見ゆは終止形が「〜え(ゆ)」や連体形が「〜える」となる点に注目します。②係(格助詞)の有無:対象を表す「を」があればほぼ他動の「見る」。一方で主語が「が・は」で感覚的に「見える」なら自発・可能・自然に見える(見ゆ)の意味になりやすいです。③助動詞や意味の適合:受身や可能の意味を表す助動詞が付く、あるいは「自然に目に入る」「見えてくる」という文脈なら見ゆ、意図的な動作(見る・見物する・注意して視る)なら見るです。例を1つだけ示します。例:「道に人の行き来して、花を見て立ち止まる者多し。」→「花を見て」は他動の「見る」(対象に「を」が付いている・意図的動作)。対して「春になりて、野に花見ゆれば心やすく思ふ。」→「花見ゆれば」は「花が自然に見える/目に入る」という自発・可能の意味(「ゆ」(え)で終わる語尾と、特に対象を示す「を」がないこと、感覚の結果を述べる文脈から)。このように語尾・助詞・文脈を合わせて判断すると区別しやすくなります。

質問者からのお礼コメント

質問者からのお礼コメント

詳しい説明と具体例でとても分かりやすくなりました。ありがとうございました。

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