国語?と英語?の質問です。
(言語学に詳しい方におききします?)
「~の多く」と「多くの~」に意味の違いはありますか?どちらも同じ意味になりますか?自分が考えても違いが分かりません。
また、「~の多く」と「多くの~」に対応する英語はそれぞれ"many of ~"と"many~"ですが、英語に就いても違いはあるのでしょうか?
回答宜しく願います。
ベストアンサー
言語学には詳しく無いです。個人的な感覚的所感です。
「〜の多く」の場合には、対象の範囲の特定とそれに該当しない小数が背景に含まれます。
「多くの〜」の場合には、不特定多数という感じです。
なので、余談ですが、発信者側の感覚と受け取る側の感覚のズレが生じる可能性があります。
では、「~の多く」と「多くの~」は余り大きな違いはないって感じですかね?
発信者側の感覚と受け取る側の感覚のズレが生じる可能性があります。
→例えば、
「日本人の多くは勤勉だ。」
と
「多くの日本人は勤勉だ。」
ではどのようなズレが生じそうでしょうか?
打って居て気付いたのですが、「日本人の多くは勤勉だ。」と「多くの日本人は勤勉だ。」はどちらも勤勉でない日本人が居ると分かりますが、「多くの日本人は勤勉だ。」は「日本人の多くは勤勉だ。」よりも勤勉ではない日本人を強調して居る(「多くの日本人は勤勉だ。」の方が勤勉ではない日本人が多そう?)様に感じられるのですが、どうでしょうか?
発信者の見方として、基準を0からとみるか、100からみるかか、の違いです。
日本人の多くならば、割合として多くいる。
多くの日本人ならば、日本人がどれだけいるかわからないが、個人の感覚では多くいる。
ということです。
人数分けで言うならば、
勤勉でない人数がはっきりしているのは、前述です。
勤勉でない人がどれだけいるのかわからないのは、後述です。
わざわざ比較するから、そのように思うのかもしれませんが、強調はどちらもしていないと思います。
ズレが生じるのは、後述においてです。
発信者が会った人の印象や聞き知った感覚としての発言。であるのに対して、聞いた人は、自身の感覚を主軸に思ってしまえば、ズレが生じます。
あぁ、ズレというか誤解ですね。
前述は、日本人の過半数は勤勉だ。と、言い換えられますが、
後述は、言い換えられるかは疑わしいです。
英語にしたら、ですが、
多くの日本人は、勤勉だ。
と、
勤勉な日本人は、多くいる。
で、表現されているのでさないでしょうか。
余談のズレ(誤解)を発生させる表現の仕方を、多く耳にする事があると思います。
それは、社会システムの中、にプロパガンダと呼ばれるものが日常に蔓延っているからです。
言語文化の破壊として、身近に聞くのは、「全然〜ない」の言葉を、〜ないを省略してしまうことが自然のように馴染んでいる事から推測されます。
プロパガンダを利用する側からしたら、言語文化が破壊されても気にしない世の中はやりやすくて笑いが出るでしょうね。
「~の多く」と「多くの~」に就いてはなんとなく分かりました。
余談に就いてですが、破壊と言うのは如何なものかと感じますね、、、破壊と言うよりは変化ですかね、、、日本語は昔と比べると全く違うじゃないですか?古典文法を使って居る人ももう居ないですよね。身近な例だと昔は「とても」は否定を伴ってどうであっても、なんであれと言う意味で、程度の強調を表すことはなかったですが、今は程度の強調に頻繁に使われますよね。破壊と言うよりは寧ろ進化じゃないですか?人間が使い易い様に変わって行く、使われない言葉は消えて行く、ダーウィンの自然淘汰説と同じじゃないですか(余談の余談ですが、私が先程使った「なかったです」も昔はなかった表現です。昔は「ありません」としか言いませんでした。)
後、英語の方に就いてですが、
「英語にしたら、ですが、
多くの日本人は、勤勉だ。
と、
勤勉な日本人は、多くいる。
で、表現されているのでさないでしょうか。」
とおっしゃっていますが、
英語では「勤勉な日本人は、多くいる。」と表現することもできますが、
"Many Japanese are diligent."
"Many of japanese are diligent."
で
「多くの日本人は勤勉だ。」
「日本人の多くは勤勉だ。」
とも表現されます。
今回の質問も実は英語を読んで居る時に疑問に思ったもので、"many of ~"と"many~"ってどう違うんだろうと思い、質問したと言う感じですね。
余談について、今質問している苦労を進化と言えるのですか。という事ですよ。
誤用なので、そう使いません。のままなら、苦労しなかったでしょうに。
わかっていて使う人、知らないまま使う人、いて当たり前ですが、知らない事が自然であるなら、意思疎通をはかるのに、不憫なだけになってますね。変えるべきでは無いという視点をお忘れなく。
進化したというなら、わたしからはもうお伝えする事はありません。
お好きに使ったらよろしいのではないでしょうか。
別に知らないことが自然だとは思って居ませんよ。自分としても、言葉は出来るだけ正しく使いたいと思って居ますからね、、、ただ、今の時代、そのようなことは余りきにしない人が多いので言葉は変わって行って終うと思いますよ、、、自分は正しい言葉の使い方に気を付けたいとは思いますが、変わって行く言葉に異議を唱えたい、矯正したいとは思いませんね、、、この世は諸行無常だと思って居ますので、流れに身を任せることも一手なのではないでしょうか?
??
レスの流れ、理解していますか。
破壊の表現に対して、それも含めて進化だとお答えになりましたよね。
ならば、良いものなのだから、気にせずお好きに使ったらよろしいのではないでしょうか。と返しましたが、
私は、流れに身を任せてはいないのでしょうか。
理解が出来ません。
> 自分としても、言葉は出来るだけ正しく使いたいと思って居ますから
こちらの思い、破壊という表現はともかく悪い方向である事は、認めているんですよね。
進化という言葉に、悪い方向へ進む意味合いはありませんよ。
Many people die of cancer.
和訳→ がんで死ぬ人が多い。
Manyを調べて、引っ張ってきた和訳です。
直訳すると、おっしゃるような表現になりますね。
進化は必ずしも良いものではないのではないでしょうか?進化は退化の対義語だと言われますが、退化は進化の一種であるとも言えますよね。進化したが故に絶滅した生物も居る訳ですから、進化は必ずしも良いものとは言えないと思いますよ。
私が先程の返信で使った「進化」と言うのは、その言葉の変化が良いと捉えて居たために「進化」と表現した訳ではなく、(現時点で自分がその変化が良いものなのか、悪いものなのか判断できませんが、)良くも悪くも変化して来て居ると言う意味で使ったものです。誤解させて終ってすみません。
英語の方に就いてですが、結局manyとmany ofって違いがあるんですかね?対応する日本語には違いがあっても、日本語と英語は言語体系が全く異なるものですから、そもそも完全に日本語と英語が対応して居るのか分かりませんからね、、、
intelzerさんは英語に詳しかったりしますか?
「進」を漢字辞典で、お調べになられたらどうでしょうか。
私ごときが何を説明しようと、オブラートに包んで綺麗事かのように表現したら良いです。そういうところが正しく使いたいわけではないと、聞き手に誤解を招く在り方とが、共存させる原因かと思います。
ofって、何ですか。を調べれば納得するのでは。
和訳の仕方、日本語での違いがわかったのなら、ofは自らこうなんだ。と導き出せるはずです。
人に聞いて知る次元ではなく、すでに自身で調べたら、納得できるところまで知識は身についていると思いますよ。
調べても分からなかったら、理解したと思ったものを間違えていないか。と、読み返してみてください。
Kakko_pnさんが私に謝る所は、どこにも無いよ。
会話の中でも誤解をしたりさせたりは、当たり前のようにあるのだからね。
自身が誇れる姿かどうかは、貴方自身が決める事です。ただ私は、他人事ですから在りたい様にあればいいんじゃないかな。と、思います。
理屈をこねて反論されたら、関わる必要はないでしょうから、お好きにどうぞ。となるだけです。
質問者からのお礼コメント
ご教鞭ありがとうございました!