回答受付中

スペイン継承戦争について調べているのですが、バルセロナ包囲戦をみて混乱してきました。 この時代バルセロナはひとつの国(カタルーニャ国)としてフランス軍スペイン軍と戦っていたのになぜスペイン軍はバルセロナを守ろうとしたのですか?色々認識が間違っているようなのでスペイン継承戦争について詳しく教えて欲しいです。

回答する

回答(1件)

スペイン継承戦争(1701年〜1714年)は、スペイン王カルロス2世の死後、スペイン王位の継承をめぐって起こった国際的な戦争でした。この戦争の経過と、バルセロナの立場について説明します。

戦争の発端はフランスのルイ14世が孫のフェリペをスペイン王(フェリペ5世)として即位させようとしたことに対し、オーストリア、イギリス、オランダなどが反発したことです。当初、カタルーニャを含むスペインの一部地域は、オーストリアのハプスブルク家を支持しました。バルセロナもカタルーニャの首都として、フェリペ5世に対抗する立場にありました。つまり、当初はスペイン軍と対立していた同盟軍側だったのです。1705年、同盟軍(イギリス・ポルトガルなど)がバルセロナに入り、カタルーニャはハプスブルク家支持の拠点となりました。

バルセロナ包囲戦(1713年〜1714年)は、スペイン継承戦争の最終段階で起こりました。包囲の背景としては1713年のユトレヒト条約により、フェリペ5世のスペイン王位が国際的に認められたことでした。その結果、同盟国軍がカタルーニャから撤退し、バルセロナは孤立しました。そのため、スペイン・フランス連合軍がバルセロナを包囲し、1714年9月11日に陥落しました。

あなたの認識に混乱があるのは、戦争の経過中にバルセロナの状況が変化したためです。バルセロナ(カタルーニャ)は当初ハプスブルク家を支持していて、最終的にはフェリペ5世のスペイン軍と戦うことになりました。(陣営は変わっていません。)スペイン軍はバルセロナを守ったのではなく、逆に包囲して攻撃したのです。

参考にこの戦争での陣営についてを記しておきます。

ブルボン陣営

・フランス: ルイ14世が率いる

・スペイン: フェリペ5世(ルイ14世の孫)を支持

同盟国陣営(大同盟)

・イギリス

・オーストリア: ハプスブルク家のカール大公を支持

・オランダ

・プロイセン

スペイン国内でも支持が分かれていました。

・カスティーリャ: 中央政権を支持し、フェリペ5世側についた(ブルボン陣営)。

・ナバラとバスク: ブルボン家(フェリペ5世)を支持(ブルボン陣営)。

・カタルーニャ(バルセロナ)、アラゴン、バレンシア: 自治を重視し、中央政権に対抗的な姿 勢をとった(同盟国陣営)。

返信(0件)
回答する

関連する質問

もっとみる