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「開拓使官有物払い下げ事件」について分かりやすく教えていただけると嬉しいです…結局誰が悪い人だったのでしょうか?

ベストアンサー

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「開拓使官有物払い下げ事件」…簡単に言えば、当時開拓使リーダーの黒田清隆が開拓使官有物の一部を友達の五代友厚に安値で売ろうとし、国民の怒りを買い大炎上して中止になった事件です。


「開拓使」…明治政府内の、北海道を開拓する機関。税金で運営。

「開拓使官有物」…開拓使の持っている土地や施設。

開拓使官有物(農園とか工場など)は国民の税金で作られました。現在のお金で3000億円(国家予算の1/4)です。この一部を黒田清隆は友達に約93億円で売ろうとしました。(2907億円引き!)国民の税金がお偉いさんの友達に渡ろうとしたので世間から大批判を浴びました。


結局払い下げは中止、さらに政府は2つの事を約束しました。

① 国会開設を国民に約束する。

② 開拓使の中の悪い人間をクビにする。

国民は国会開設を望んでいたので怒りを鎮める得策として実施されました。

2つ目の約束では、事件の犯人である黒田清隆がクビになったわけではなく、開拓使のメンバーの大隈重信がクビになりました。大隈重信は「黒田清隆にずっと反対していて、新聞社に密告した人」で、国民側からすればいい人側の人間です。

しかし、政府や開拓使側から見れば「裏切り者」です。大隈重信は追放されてしまいました。

大隈重信はその後、政府に反対する政党「立憲改進党」を結成し、黒田清隆は総理大臣になりました。


現代の私たちから見れば無茶苦茶な事件だということが分かると思います。

質問者からのお礼コメント

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助かりました。ありがとうございます。

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開拓使官有物払下げ事件

北海道の開拓長官の黒田清隆が開拓使官有物を同郷の薩摩の五代友厚たちの関西貿易商会に安値かつ無利子で払下げることを決定した結果、世論の厳しい批判を浴び払下げ中止となった事件を指します。1881年の政変のきっかけとなり、伊藤博文が大隈重信を政府から追放しました。国会開設の勅諭も提出されました。