若槻礼次郎内閣は、金融恐慌の際に、台湾銀行を緊急勅令によって救済しようとしたところを、枢密院の了承を得られずに総辞職しましたが、その結果台湾銀行は救済されなかったという認識で大丈夫でしょうか。
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回答(1件)
はい。
第1次若槻内閣(だいいちじ わかつきないかく)は、1926年(大正15年)1月30日から1927年(昭和2年)4月20日まで続きましたが総辞職の3日前である4月17日に台湾銀行救済の緊急勅令案は枢密院によって否決されています。
さらに翌18日には台湾銀行は休業を発表しているため、台湾銀行は救済されなかったと言えるでしょう。
https://www.dhbk.co.jp/company/library/pdf/100th_05_johen_03.pdf
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