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日本史に出てくる半済令と守護請の違いについてkwsk教えてください。

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まずは荘園公領制について理解する必要があります。荘園公領制は平安時代に行われた荘園制度で、荘官による管理の下で農民が荘園を耕し、荘園で収穫された農作物から農民は荘官に対して年貢を納め、荘官はその年貢の一部を荘園の持ち主である皇族や貴族に収めていました。荘園公領制はこの様に農民→荘官→荘園領主という流れで年貢が移動していました。


次に、半済令について説明します。鎌倉時代には武士たちが荘官の任に就き地頭と呼ばれていました。これは荘官に具体的な役職名が付いただけで平安時代の荘園公領制と同様の制度です。次に室町時代になると守護という役職が台頭してきます。鎌倉時代から守護は存在していましたが、守護は税のマージンを取ることはできませんでした。しかしながら室町時代になり半済令が発布されると、守護と地頭で荘園の年貢を半分ずつ徴収するようになりました。発布の際は一年限定での制度となっていたが、その後は毎年行われるようになりました。


次に、守護請について説明して行きます。半済令が普及し守護に年貢の半分が集まったことで、守護は荘園における実質的支配力を伸ばしました。その結果、地頭が守護の家臣の様な形となり、守護が荘園を実質的に支配していくようになりました。これが守護請です。

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